19800407@中野サンプラザ
以下、非公認FC会報「P NEWS LETTER Vol.2」(19800527発行)から転載。


ヒカシューと一緒にやるという必然性は、良くわからなかった。プロモーター側としては、ヒカシューとP-MODELを使ってひとつのイベントを作りあげる意図だったのだろう。
事前に巻上君から相談したいという呼びかけがあり、話し合ったけれど、具体的に一緒にやれることは何もないということがわかったので、演奏以外は何もしないことを確認した。

次に関係者のミーティングがあり、その場でP-MODEL、ヒカシューの双方がプロモーターに対して、「うちは、こういう方法でやる。こういうことはやりたくない。これだけはやめてほしい」といった要望を申し入れ、確認された。その他の細かいことは、プロモーターが決定することになった。
それ以来、コンサートの当日までP-MODELには何の連絡もなく、当日受け取った予定表には、確認事項とは全く違うことが書いてあった。例えば、アンコールはいっさいなし、となっていた。P-MODELはアンコールには応じるつもりで、その曲目も通告してあったのだが。
その他一口にいえば、プロモーターの意図した表現に、ヒカシューとP-MODELが、ダシに使われる、といった内容だった。それは、観客と演奏者の意識や存在を全く無視したもので、プロモーターの趣味に観客は1800円も出してつき合わされるものだと思った。
P-MODELは即刻抗議して、一部を変更させたのだが、アンコールについては聞きいれられなかった。
その時は出演拒否まで考えた。
ひとつのショーとしてステージの上だけで完結してしまうような企画に、自分達が参加することは、観客を裏切ることでしかない、と思った。そしてその償いを、どういう形で、どうすれば良いのかをすっと考えていた。これは演奏が始まってからも考えていたので、あのステージの4人は、P-MODELではなかったと思う。
最後の曲の前でしゃべったことは、そういう意味だ。
演奏が終わり、楽屋にひきあげて少しすると、場内灯がついて、アナウンスが入っても、お客さんがアンコールを求めているという知らせが入った。観客が観客の側から、今回のコンサートの欺瞞性を突破しようとしているのだから、P-MODELとしては、出ていかなければならなかった。同時に、衝動的に、とりあえず、こちらからも突破しなくてはと思い、一切を無視して、ステージに出た。
巻上クンが怒ったのは、ヒカシューは全員舞台人で、舞台の掟の中で自分の表現をしつくすという意識を持ち、それを破られたからだと、翌日電話して知った。P-MODELはヒカシューのそういった意識を全然知らなかったのだが、結果的にヒカシューを傷つけたことに対しては、深く謝った。今回のコンサートの在り方は絶対に許せない。許せないから必然的にとった行動にしてもヒカシューに迷惑をかけたのは事実だ。巻上クンの気持ちは良くわかるし、申しわけないと思っている。
観客が最後まで居すわって抗議していてくれたことは、とてもうれしかった。
僕はあの夜の観客を一応信じている。単にムードだけで残っていた人たちもいると思うけど、そういう人達も、あの体験によっていろいろと考えてくれるだろうと思う。僕自身あのコンサートまでは、だいぶ落ち込んでいたのだが、相当救われたような気がする。

コンサートの企画自体はひどいものだった。だけれど、結果的には、とても良いコンサートだったと思う。
ただ、観客の払わされた1800円については……。

平沢進さんのコメント


僕はもう平沢クンを許している。もう怒ってはいない。P-MODELがアンコールに出たことは、彼の考え方からすれば納得できる。
ただ、自分のやった事が正しい、という自信が彼にあったのなら、あとで謝ることなんかなかったはず。謝るようなことなら、最初からするべきじゃない。

もし、僕が彼の立場だったら、彼のようにはしなかった。彼と2人で舞台に出ていって、お客さんに話をしただろう。演奏はしない。アンコールの演奏をしたところで、不満足に終わったステージをとり返すことはできないからだ。2つのバンドがジョイントしてコンサートをすれば、必ずいくつかの規制部分がある。それは2つのバンド双方にあるのだから、正常にコンサートを行う為には、その規制を克服しなければならない。
今回、ヒカシューはやるべきことはやった。

P-MODELの演奏中に、舞台にとび出してしまったことは、僕も悪かったと思っているけれど、実はあの時のことは、よく覚えていない。とび出す前、3分間、冷静に考えた。そして演技で怒ろうと思っていたのだけれど、僕は演技していると本気になってしまう人間なので、今となっては良く覚えていない。
何に対して怒っていたのかもわからない。
でも本当に本気ではなかったはず。
もしも僕が本気だったら、ステージに血の雨が降っただろう。

当日の構成については3日前位に知らされた。その時知らされた構成は、もっとひどいもので、ヒカシューの音楽が生かしきれるものには程遠かった。そこで抗議して、やっと当日のような構成にしたのだが、いずれにしても今回の出来事は、ミーティング不足やプロモートしたキョードー東京に原因があるように思う。

今となっては、そんなにたいしたことではないと思うし、もう何とも思っていない。

巻上公一さんのコメント


P-MODELとは以前、一度仕事をしたことがある。昨年の12月の久保講堂だ。あの時は動員数も少なく、コンサートとしては満足できなかった。今度はヒカシューといっしょだったけれど、動員的には成功だったと思う。

最近、ニューウェイヴのバンドが進出しているが、演奏する場所は、ライブスポットや小ホールが多く、良くも悪くもライブハウス離れしていないように思う。
そんなバンドが、メジャーなホールで演奏し、もし成功すれば、日本のロックにかかわるいろんな人たちにとって大きな力になり得ると思っていた。どのアーチストに対しても、バンドがやりやすい方向で、私は仕事をしたいと思っている。

今回の企画は、レコード会社(ワーナーと東芝EMI)から出てきたもので、どうせいっしょにやるのなら、2つのバンドがいっしょに演奏できないか、とも提案があった。この話を両方のバンドにしたところ、不可能だという結論が出た。しかし、2つのバンドの演奏を完全に分離してしまうのは、たくさんのバンドが出る従来のコンサートと同じで、つまらないと思った。どうで大ホールでやるのだから、他では見られないものにしたかった。それに途中で休憩を入れると、このコンサートの雰囲気を分断することにもなると思ったのでパントマイムを入れた。アンコールも、各バンド50分という時間枠があったし、バンドとバンドのつながりを分断するので、なくてもよいと思った。

このような事について、両方のバンドのマネージャーと2回のミーティングを持ち、了承してもらっているはずだ。また、その場では双方からの要望なども聞いている。当日の演奏曲目が2つのバンドから知らされ、4月4日に進行表ができた。ヒカシュー、P-MODELの双方から訂正の申し入れがあったので、もう一度、当日作り直している。当日P-MODELは抗議したというが、私は受けていない。観客に対しては、アンコールがない旨のアナウンスはしていない。

いずれにしても、今回の事件は両方のバンドが起こしたことで、バンドの行動についてはノーコメントだ。

キョードー東京 成田さんのコメント


僕が今回の構成をやったような噂もあるようですが、違います。キョードー東京の成田さんから相談を受け、アドバイザーのような形でかかわったに過ぎません。

パントマイムについても相談を受け、マイムを演る人を紹介しました。2つのバンドのジョイントコンサートというのは、日本ではむずかしく、どちらが前座で、どちらがトリといった発想が根強いので、バンドとバンドのつなぎがスムーズにいくよう、そういった意味でパントマイムを入れたようです。 ですから決して、アンコールを封じ込めるために、パントマイムを入れたのではありません。

アンコールなしということは、時間的な制約から決まりました。8時には終了したいということだったので、開演時間も6時という早い時間だったわけで、それ以上の深い理由はありません。

ステージのルールから見れば、P-MODELの行動が本当に正しかったかどうか、もう少し考えなければわからないのですが、P-MODELのパワーからすればごく自然なことで、それを責めるのは酷だと思いますし、僕も平沢クンから話を聞き、気持ちはわかりますし、納得しています。

業界の内部でも、しこりみたいなものは無いと思います。ただ、こういう事が何度も続くと、ロックのコンサートに会場を貸してくれる所がなくなる危険性があるとは思います。

僕自身P-MODELが好きですし、支持者です。今回の事は、P-MODELが成長していく過程でのひとつの出来事として割り切ってほしいですね。

読売新聞 寺村さんのコメント

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