「Virtual Live2」を聴いた人へ:2000人の客の1人の記憶を回収しました。

last update : 1999/12/30

19800407@中野サンプラザ

右がそのビラ(つーかチラシ)。「Power'80 時代を走るスピードは誰にも負けない」という同じコピーのもとに片面P-MODEL、片面ヒカシュー、「両A面」みたいな位置づけ? 18時開演、入場料 A=\1800 B=\1300、主催=ニッポン放送 提供=キョードー東京。
「Power '80」という企画名は、「哀愁の東京クリスマス」19791223@虎ノ門・久保講堂(遠藤賢司、ウシャコダ、P-MODEL、ワッショイ軍団 ほか/A席2000円、B席1500円/主催:キョードー東京)のチラシにも書いてある。首謀者はこれの入りがいまひとつだったのでそんなハズはとこの企画を立てたらしいと当時きいたが真相は知らない。

わたしは一番前の席だった。チケットは「いい席をもってる」とにらんだ発売窓口にP友が並んで買ったもの(チケぴはまだない)。ライブハウスでは見かけたことのない音楽評論家が数人、前列中央の席に陣取っていた。平沢の(正規の…というのはヘンですが)MCはただ1度、「こんばんは、P-MODELです。僕たちは皆さんの血のにじむような1800円をダシにして、今夜大ボラをふきました。このつぐないはきっとします…。次は最後の曲です。『異邦人』」。アンコールの中、レコードと同じ『アートブラインド』が流れ、客は(今では考えられないけど)一旦静かに。が、曲のフェードアウトとともに再燃。カバンに入れたままこっそり録音してたわたしのテープは、やまないアンコールの中、90分の片面(でも50分も録れてた)を録り切り止まったままだった(録再リバースなんかなかった)。裏に返したかったが警備員が恐くてできなかった。目の前で女の子が警備員に暴力を受け、そこにステージから降ってきた平沢…。あとはおおむね彼が言っているとおりだ。後に友人が録音していた一部始終を聞かせてもらったことがある。ダビングはしてもらわなかった。

すべてが終わった後、平沢が何かを言った。誰かにマイク(電源は落とされていたはずだからメガフォンだったのか?記憶外 【1999/12/30補足】産廃本P編95ページに拡声器を持った平沢の写真が!)が渡され聞こえた声は、「今日はアンコールをしない予定だったのですが、P-MODELがみんなとの約束を破って勝手にやってしまったんです。今日はこのまま黙って帰ってください」。



サンプラ
P-MODELヒカシュー

非公認FC会報「P NEWS LETTER Vol.2」(19800527発行)に掲載されたルポおよび平沢進、巻上公一、主催者のコメントを入力しました。ご参照ください。









1996年10月に発売された「ヒカシュー 1978」(東芝EMI/TOCT-9683)の中のEXPANDED BOOKデータ「写真集・ヒカシューの記憶」の「サンプラザ」の章に、平沢進と思われる人物とヒカシュー・巻上公一が宴席のテーブル越しに握手している写真が収められている。周りに当時のP-MODELのマネージャーや両バンドのメンバー、スタッフらしき人の姿が見えることから、打ち上げの席で関係者に促されて握手、ともとれるが、真相は知りません。

P News Letter Vol.2
「サンプラ事件」を取り上げた非公認FC会報2号。平沢画伯のマンガも載っていた

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