U R 3000人、の行く先 ――【2nd10】鹿島アントラーズ戦に向けて―― |
[2002/10/02]ナビスコ準決勝ガンバ戦@万博。エメ、マグロンマグロンで前半2-1、「おめーらシケたツラしてんぞ」とコールリーダーIに叱られ後半早々エメPKで2-2、しかしスコアはそのまま90分が終わったときの気持ちはもう仔細には思い出せない。冷静に考えれば、レッズの得点はセットプレーのみ、ガンバにはDF乱されての失点、頼みのトゥット(ケガ明け)投入も効かずなんとか耐えただけの後半だった気もするが、もちろんそんな冷静なんか勝つためには無用だった。 PK戦に持ち込めば勝てるなんてもちろんまったく1ミリも思ってなかった。 極限まで勝ちたかった。勝ち抜きたかった。 PRIDE OF URAWAが途絶えた静寂の中、延長に備える選手たち。「好きにならずにいられない」が起こり、歌い、歌い続け、オレらの夜空を満たす。促され隣どうし手をつないだのはこのときだったか。 電光板に「午後9時以降鳴り物禁止」の掲示を見た。 はぁ? 90分を共に闘ったタイコが再び打ち鳴らされ、アレ浦和。自分はタイコのすぐ後ろにいた。芝生の後ろの方から人が崩れてくる。即座に腕を組むあたしら。そうくるか。覚悟。止める人、押さえる人、それでも執拗に体当たりで後ろから横から突っ込んでくる巨漢を背中に感じつつ、両足踏ん張り両腕ぎりぎりいわせて、怯まず腹から歌を歌い続ける。絶対にタイコには触らせない。絶対に前には行かせない。そしてこのくだらねえ方の闘いを絶対に選手には伝わらせない。伝えたいのは魂だけ。勝ちたい。タイコの音に精神集中させてアレ浦和。逃げ去る野郎もいた、駆けつける野郎もいた。盾が補強された。エンドが変わったこともまともに意識しないうちに、突然、このすさまじい緊張が消えた。と思ったら別の波が襲ってきて、気づいたら前の手すりにつかまって号泣。絶対に勝つと思ってたわりには選手を前に自分が叫ぶはギシの名ばかり。たぶんほんとはそういう試合だったんだろう。決勝点はエメ。みんなでもぎ取った初の決勝行き。 ウラワレッズカンペオンを歌った。 えー、前置きが長いです。 時は流れ[2004/07/17]、ナビスコ予選リーグ第5節市原戦@駒場に勝って、最終節に望みをつなげた夜。クルヴァの飲み会の会場で、あの夜タイコを叩いていた彼が言う。 「3000人でカシマスタジアムに乗り込もう。優勝するために、みんなで、カシマで鹿島に勝とう」。 酔っ払ってたあたしは思わず正座。 それは「We Are REDS! 2004.10.23 URAWA vs KASHIMA 3,000人バスツアー *」と具体化され、東京ヴ戦@埼スタの開門前に告知チラシが配られた。 いやその前に神戸戦の試合後、コールリーダーが言っていたね。「バス60台、用意したから」って。 鹿スタで勝ちたい。 あたしの初カシマは改修後(つまりアウェーゴール裏の大拡張後)2001年のナビスコ準々決勝第2戦(台風で1週延期)。前半ロスタイムに井原とエメが退場して、後半直後に秋田にCKを決められ同点、延長早々FKから長谷川にVゴール。 2002年はナビスコ決勝直前、2ndの開幕から9戦負けなし、の10戦目。日付も今年と同じ10月23日。後半1-1に追いついたトゥットが退場になり、ギシのパンチングが敵にあたって負け。 2003年は1stの開幕、エジなんちゃらがいきなり欠場し、エメはまだだるだるで、混戦からエウレルに、CKから名良橋に決められ2-0の後半、山田がオフトの掟をやぶって猛奮闘しミドルを決めて2-1、しかし最後後半42分にフェルナンドに決められ3-1で負け。いつもイヤな湿度と寒さと緊張と、個々に激しい想いの渦巻くカシマ。 うー。今度こそ勝つ。勝たなきゃいけない。勝つためならバスにだって乗る!(ちょと違…) その日、タイコの彼も言っていた。「鹿スタで勝ったことのない新しいサポーターも増えている」。あい…。その、最後にカシマで勝った試合というのはデータで見ると[1998/04/25]、ヤス・伸二・大柴・チキで4-1。おそらくこの1点目だけが鹿側ゴールへの得点*。 得点はしている。が、鹿側のゴールには決まらない――。 以前、人の少ないアウェーのスタンドで、コールリーダーがしてくれた話を思い出す。 再びデータを見ると、(逆攻めでないとすれば)1993年鹿島戦初ゴールの福田の得点(2分)は鹿側か(試合は負)。以降は上記の1998年のみ。 ヤツらのゴールに決めて、勝ちたい。 そしてもうひとつ。その先に。 オレたちの埼スタのゴール裏を、敵に「あっちには決まらない」と思わせる、真に、ホームのゴール裏にしたい。 パワーも人数ももっともっと圧倒的なゴール裏、そのためのひとつの契機?ひとつの起爆剤?ひとつの通過点?かけがえのない一歩にできるんじゃないか。この「3000人」が。 ふつうに行ってふつうに勝とうよと思わないこともない。 それぞれが、それぞれの想いを胸に勝手に集まり一緒に闘うのがウラワだろ。団体行動の嫌いな自分が初めて1人でアウェーに行っても全力でやれたのもそこがウラワだったからだ。 でも、だからといって同じ場所に踏みとどまっているわけにはいかないと一方で思う。駒場から埼スタへ。日本からアジア、そして世界へ。こんな風に闘ってきたあたしらがより強く、よりデカくなるために。「最高のサポート」のための並び、ダンマク、場所、大旗を、今の延長ではなく明確に「次」をイメージしつつ考え議論し、足りないモノを知り、動くためにも。参加する人にもしない人にもこの「3000人」は意義がある。 なんていったらいいかな…過去の集大成で優勝しても後はない(ってとにかくまず一度優勝したい。したいけど)。あたしたちは勝ち続けながら「次」のサポートを模索し、ときに闘いもしながら勝ち続けなければならないのだ。 去年のナビスコ決勝の前にも書いたけれど、「浦和スタイル」は誰かが決めるもんじゃない。なにがオレらのふつうか。どうありたいか。並ぶ労力を応援にというのはわかっても、ダンマク見えなきゃ意味ねえだろ。じゃあ出さなきゃいい…というのも違うとあたしは思う。それぞれの想いが重ねられ痺れるほどカッコいいゴール裏があたしの思うウラワ。アウェーに行く人数や平和さからみて参考にはならないかもしれないが、イングランドでイタリアでトルコでヤツらはどう敵地に乗り込むのか、全員固めて移動させられてダンマクの場所なんかどう決めてるんだろうとか。後で、この鹿戦の時はこうだったとか。もっと見て知って考えて議論していいんじゃない。 ツアーのHP*の中に「並び・入場・ダンマク・旗に関する提案*」がある。彼らの今回の結論は、この試合では協力各チームはダンマクを出さず、「We are REDS」と記した赤白黒の大旗のみを出すというもの。 自分は、ダンマクは道中〜現地を見て判断します。ウラワのサポーターがずっとそうしてきたように。そして、腹の底から「We are REDS!」。叫んで鹿スタで勝つ。 *誤認などあればこちら*からご一報ください。 **クルマ酔い止めオススメ情報もお待ちしております…(弱々)。 |