U R 決勝国立で、かく闘う。
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最初は、ひとりだった。 J2になって初めて手にできたチケットで、恐る恐る駒場の2Fで恋人と試合を眺め、新しいデ〜トコースぅなんて思ってたのに、彼を置いてゴール裏にアウェーに飛び込んでしまって(←今、大事な恋人がいるひとはマネしないよーに)以下略。 ひとりでゴール裏でやるのに、場所取りはいらない。でも、コールリーダーの声とタイコのきこえるところでやりたい、と願い、常にそう行動してきた。できれば、荷物は危険性の低いところに置きたいし、それなりの足場を確保したいし(チビなので)、できれば…。自分がたくさんのサポーターに助けられてのひとり、であると同時に、同じサポーター同士で競い戦うひとり、でもあった。自分がやれれば浦和が勝つ、つうぐらいの勢い。 2003/08/27、URAWA BOYS(以下クルヴァ)はアウェーでの並びをやめた。最高のサポートで勝つために、絶対に譲れないことのひとつとして捉えられていた戦いを、やめた。その動機についてはここでは繰り返さない。理想はもっと語られていいし、具体的ステップ論ももっと活発にあっていいと思うが、それよりも。目指す「最高のサポート」の進化こそが、その意義のひとつとあたしは思う。近くは埼スタの、まずはゴール裏全体を真に揺らすために。一歩踏み出せば困惑も混乱もある。その姿をそれぞれがよく見てほしいし、考えてほしい。でも後退してはならない。 決勝進出を決めた夜。去年、万博ではなく国立代々木門で待機していたクルヴァの同志は駒場の歓喜の中にいた。それらの光景を何気に思い出した帰り道、「とはいっても、ほんとに並ばないでどうやれるのか?」と、あんな勝利もフェードアウトして正直煩悶。「…国立は直前のJの試合終了後以降貼ったシートは黙認される、だからそれまでに決めればいい」「でも去年は…」「ああ、でも去年はあのゴール裏に立ったとき、すでにひとつ到達しちゃった感が…」。 ガタガタすんなぃ! 決勝国立。 だから、「浦和スタイルで行こう」ときいたとき、おう!と(懸念や不安はさて置き、まずは、そして絶対的に)思った。ホームに倣った並びのルールでスタジアムへ。平日の夜の浦和を揺らした準決駒場のホームの力を国立へ。一番最高の力を出せるよう、出して勝利をつかむよう、オレたちの「浦和スタイル」に軸足置いて、踏み出すのだ。と。 自分は現在クルヴァにいるがクルヴァを構成するチームに所属はしていない。並ばず目指すその先を見つつ行動するも、が組織に属していないことで起こる不測の事態に備えて自衛はするという実はそーとーハンパなことをやっている。それに、最悪自分はどこでもやる、が、ダンマクは見えるように出さなきゃ意味がない、というのがあって、「並ばない」流れの中でダンマクをどう扱うかは、まだちゃんと議論されていなしこれからだから、今しばらくはオルタナティブな共同戦線でもがきもする。 「浦和スタイル」は変化し続ける。よりでっかくより強いサポートを実現していくために。その過程、今回の決勝国立は、去年と違って自分は仲間の近くでやれないのかもしれない。いや、どこに立っても仲間を感じて全力でやれるさ、その積み重ねが新しい浦和には必要なのだ、と思う反面、去年の想い、大好きな仲間と一緒に勝利して歌いたかったという想いが、それでもあたしの心にある。わがままだけどね。 てことで、ここから。チャレンジはでかいが時間はない。「オレたちはイベント屋じゃないんだから」とある人に言われたが、そうなんだよな。そして紙には並びのことしか書いてないが、並びをうまくやることが目的じゃない。どんなサポートを目指すのか、自分はどうしたいのか、そのためには何が一番大事で何が必要で…と、ゴール裏に来るひとそれぞれが考えることからはじまるのだ。 同じサポーター同士で競争するのはおかしい、とはあたしは思わない。少なくとも自分は、何よりここに賭けるクレイジーだ。みんな仲良しなんてウソだと思ってる。斬って斬りかえして何かを失い何かを得、そのすべてで浦和レッズの勝利を引き寄せられればいい。 でも大事なのは今は何をどうすべきかということ。その戦いは、また後でやろう。「浦和スタイル」は、自分たちでつくってくもんだから。 |
[20031030] トップページ追記 備える者は備えよ。 でも「抽選」が「浦和スタイル」なのではない。「浦和スタイル」はまずあなたのもの。参加したこともない抽選に参加する必要はない(それでも参加するなら、たとえばここを読んでみて)。 闘うための準備じゃなくて、闘う準備をしよう。 あたしはひとりで初めて浦和レッズの試合に行ったときのことを思い出す。 勝ちたいのだ。 どこでもやれるさ。 |