10月28日/新宿リキッドルーム
「タネも仕掛けもございません」
これは手品師の決まり文句だが、お皿の魔術師ジェフ・ミルズならそんなウソはつか
ないはず。彼は無から有を生み出しているワケではない。彼はただ、いいレコードをか
ける。それらの一番いいミゾを知っている。たとえ4小節しか鳴らしてもらえないお皿
でもスクラッチ専用のお皿でも、彼の尊敬をかち得たからこそターンテーブルに載せら
れたのだ。彼は使い終わったレコードをほん投げるが、音楽を投げ捨ててはいない。誤
解は禁物。シロート同然の駆出しDJが人さまの作品をつかまえて部品だの素材だのと
言うが、そんな音楽を見下した不遜な言葉は聞きたくない。ミルズはお皿のミゾの1本
1本にまで敬意をこめて鳴らしていたのだ。音楽への愛と畏敬。それがなければ、ミル
ズの猛烈なスクラッチや奇跡的なつなぎ技も単なる軽業だ。そして彼は、前衛だの実験
だの言われるような子供っぽいことはしていない。ススンでいるように聞こえるとすれ
ば、彼が音楽に対してあまりにも真剣だからだ。たかがテクノなのに、イノチをかけて
いるミルズ…。
と、ここまでは当然の前提。URやXシリーズに勇気づけられ、その感動を伝えたく て始めたデジビだが(マッドマイクの「アマゾン」に思わず涙しながら、それを思い出していた)、しかしその時期からすでに1年近く。この夜ミルズのDJを体験して、何かひとつのサイクルが終わったような気がする。電気的に変換された人間の叫びとささやきを、つなぎ、切り替え、重ねながらミルズが描いた大きな絵。それは神なき時代に与えるボッスの「最後の審判」かも知れない。喜びと苦しみ、虚栄と悲惨、絶望と勇気、生と死と…。すべての人間感情と体験がそこに含まれる。そのすべてを見せられてしまった。ここがゼロ地点だ。さあどうする?
何のために、と問うことをミルズはしない。けれども音楽には人間を動かすチカラが あるし、ミルズはそれを集積しては放射する。マックスウェルの悪魔のように「生産」をこなす。そこから受け取ったチカラを何に使おうと、後はアナタの自由。
数日後、アキバの楽器店で偶然ミルズを目撃した。案内役の日本人と談笑するでもな く、まるで元気な老人のような足取りで歩き回り、ただ喰い入るような眼付きで機材を 物色していた。とても声などかけられなかった。
Nogucci Harumi < MGH03372@niftyserve.or.jp >