P-MODEL結成20周年プロジェクト「音楽産業廃棄物」(2BOOKS + CD-ROM)発売記念
「P-MODEL SIDE OPEN SOURCE」(以下「P編」と記述)「HIRASAWA SIDE 卓上のウロボロス」(以下「平編」と記述)にフィードバック。

last update : 2000/01/10

P編115P画面写真に、わたしとP友の名が!(爆)

んなことはさておき、編集の高橋かしこさま、こんな素晴らしい本をありがとう!

まずいきなり「あとがき」に反応。

かしこ氏が初めてP-MODELを聞いたというNHK-FMの番組「渋谷陽一のサウンドストリート」を、わたしも埼玉・浦和の自室で聞いていた。1979年9月14日21時、サブタイトルは久々の「日本のロック特集」。浦和東口のレコード屋VILLAGE GATEで予約して(「日本のロック買うなんて珍しい、どしたの?」と店のオヤジに言われた)発売日前日にピンク盤を入手していたわたしは、いや絶対にPがかかるハズ!かけなかったら渋谷の番組はもう聞かない!ってゆうぐらいの妙な意気込みで、ステレオの前に座ってテープセットしてヘッドホンつけて待機。中学の頃のロック友達に「聞けよ」と電話までして。まずは渋谷の同志・松村雄策が3曲。続いてP-MODEL。「美術館で会った人だろ」「KAMEARI POP」「子供たちどうも」の3曲。最後はYMOで「テクノポリス」「ライディーン」(渋谷は「ライデン」と言っていた)でフェードアウト。
その前の週の9月7日「NEW DISK」特集ではXTCの3rdとたくさんの古臭いもの。そのちょっと前にはTubeway Armyがかかったりと、そんな79年の秋だった。

ところでP編33Pにある「ピンク盤400枚」はホントか? P友はもちろん、Pなんかバカにして聞かない友達だってピンク盤だけはもってたり、ピンクはすぐ磨り減るからともう1枚買ってたヤツの2枚目もまたピンク、黒盤はみたことないす。初回プレス3万枚とか1万枚とか当時聞いたような気が(やけに大雑把な記憶で役立たず。スマン。それはともかくP-MODELの1stの売上は当時の邦楽ロック市場ではヒットと呼べる枚数だったときいたが。それを無知なわたしに教えてくれたのは当時ロクエフ副編集長だった加藤氏なのだが…)。

以下、P-PLANT内「エラー・チェック」で情報を募集している誤記・誤情報に投稿するほど重大ではないけど、P本「LIVEの方法」(94P〜)に抜けてる情報を補足。

【抜け】19810515 浦和ヴェルデ COMPASS 80X 共演:リザード、マゼンダ
【日付間違い】19810605 大阪スタジオあひる
【抜け】19811204 鹿鳴館
入場料1200円でした
【抜け】19831009 田島が原 共演:ZELDA,大作&プロスティテュート
【抜け】19911203 渋谷ON AIR I3DAYS

この後、「鹿鳴館事件」について痛い思いをする予定。 「CD-ROM」についても後日。


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