19991101 『VIRTUAL LIVE-2』mp3を全曲購入。BitCashを入手するまでの苦労は別稿にゆずるとして、「(mp3は)あまり売れてない」そうだがこれでは売れません。
(1)決済方法
これを改善しただけでもファンなら今以上に買ってくれるでしょう。
(2)価格
素朴な感想として、「1曲260円(新作は300円)」という価格付けはギモーン。(1流通単位に載せられる楽曲量に一定の限りのある)盤じゃなくてmp3という手段を選んだ、から、価格決めはこう!っていう、「オレ価格」なら「オレ」なりの価格構造を示してほしいっす。
もっとも平沢さんは「サウンド&レコーディング・マガジン」11月号掲載の対談で「CDで楽曲を売るときの値段は流通コストとかを差し引くと1曲数百円ですよね。これって安過ぎると思うんですよ」(太字は筆者)と言っているので、mp3は相当に安く抑えているということなのかもしれない。
次の機会にさらにつっこんで書いてみます。
(3)ライブなのに…(全曲買った人にしかわからないことだが)
全曲DL販売の場合でも、全曲1度にDLする用のデータをおかず、1曲ごとにDLさせる方式をとるのは現実的な解として仕方ないが、連続再生したときに1つのライブ演奏としてつながってきこえるようなデータを用意してほしかった(各曲がフェードイン・フェードアウトに加工されてて、単純に言うと、曲間の歓声と多くの曲のアタマを2度聞くハメになります)。いや、もちろん買い手側がデータを加工してそうすることも不可能ではないが、CDとほぼ同価格でパッケージされた売り物なのだし。
でも、懲りずに「VL1」と「P or die」も購入予定(CD持ってるけど)。
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19991106 P-MODEL 1999 TOUR FINAL「音楽産業廃棄物取扱技能者総決起集会」@ ON AIR EAST。17時開演。
同日、同じく渋谷のタワレコでは15時からpolysicsのライブが
つーことでハシゴ。パネル前で記念撮影(ミ〜ハ〜)。
やっぱギタァは跳ばなきゃ(誤)。
んで、ON AIRでは、葬儀委員長ヒラサワが見事仕事遂行!
1980タイムスリップ篇が「論理空軍」によって執行された瞬間。痺れました。捏造への意志。その後の初期曲の実演よりも、でも数年前、渋谷公会堂でヒラサワがステージでアミガと2人格闘していたときのほうが「1979-」の「-」に歴然たる思い(わたしが)だったのは、あの時のヒラサワのほうが「生身」だったからなのか。
客を押しのけて前進してきたPIL皮ジャン着用男と隣あわせになっての感想は、chaosunion bbs GREEN PAGEに書いたとです。あー仕込みかと思った。
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19991109 8日発売の「スピリッツ」(小学館)を、いつも買ってる職場のひとから譲ってもらう。忌野清志郎(ヘア&メイクつき)、鮎川誠(ごく初期から英語でHPやってます)と並んで“おやじ3題噺”「ロックの一徹」に登場の師匠。葬儀委員長スタイルでリハ中?の写真がかっこいー!! プロンプタ機もばっちり写ってます(笑)。
で、レコード会社がいやなら自分でつくればいい、テクノの世界では10年も前から自力でできる数100枚の音盤で世界各地のクラブを鳴らし世界中のファンに届く、フィードバックする、鮎川もこの記事で言っている「全部自分たちでやるのがロック」、こいつらを承知の上で1999年5月まで「過去遺産的音楽産業」の製品として作品をリリースし続けてきた平沢は「MP3は、既成のレコード産業の終焉を意味します。20万円ほどの機材があれば、誰だってレコード会社になれる」と言う。
手段に優劣を決めることはない。ファンに、見込み客に、それ以外の大勢に、どう届けたいか。対価より多くの人に聴かれることを優先するとか、間接費を減らしてリスナーから直で集金するとか、いや、「腐った」音楽産業にのって直接リスナーが払う対価以上に集金し、次なる音楽活動の糧とするやり方だってある。
Pが出ていった1979年は、「聞かせれば」「見せれば」勝ち!だったとわたしは思っている(まったく金にならなかった、と平沢さんは言っているようだが。でもドリンク入れて1000円台だったからこそ月に数度のライヴに行くことができ)。
1999年5月末、「P-MODEL結成20周年記念プロジェクト 音楽産業廃棄物 〜P-MODEL OR DIE 宣言」がメールニュースに載って日本中のネット業界人(含むわたし)とユーザーに届いたとき、聴けたmp3サンプルが「昔きいたようなあの曲(として片付けられる曲)」なんかじゃなくて「論理空軍」だったら!
その後、たくさんの記事がネットで雑誌で読めたけど、音楽についての言及がみあたらない。双方話題にしなかったのか。記事に載らなかっただけなのか。こんな有様では、10年後には「この業界」が「過去遺産」として処せられること必定。
mp3サンプルを販促ツールとして位置づけ旧音楽産業を延命させる動きや、次世代音楽流通の覇権争いはもう始まっている。PのCDを買うたび(その発売元がインディーズであっても)「(特典目当てに)巨大販売店の店頭で予約して買うこと」自体が旧音楽産業に奉仕しているんじゃないのと胸が悪くなる。その「特典」イベントに出演するのは他ならぬP自身だ。
でもとりあえず、音楽産業や出版産業がまだ成功モデルをつかんでない今、(そしてもっと別の枠組みの巨大産業が成功モデルを描きそうな今)、「届けたいように届ける」「聴きたいように聴く」ために。mp3はインターネットで誕生/供用された技術の多くと同様、「作り手」と「受け手」の関係(対価を含む)を根底から築きなおし、表現までも変える、パンク以来の契機になり得るのだ、やれるだけやってみ! 「遠慮なし、前へ!」
こんなことを考えてる限り、「ネットビジネスで儲ける」ことがお題な職で食ってるわたしの人生も成功しそうないすが、
ここで、勝手に共闘しますヨ >平
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19991224 コミケ@有明ビッグサイトで「P/平」本を出してるサークルを複数発見(夏コミより多いような気が)。ヒソカに「秋×平」本の存在をカタログでチェックしてたんだが、発見できず(泣)。ちゃんとメモってこいよ〜 >自分。
でもって「P/平」オンリーの同人誌即売会「こぴまに」のチラシをゲット。行かねば。2000年2月11日、11時から新宿アーバンスペースステラにて。
詳細はhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~inspire/copy/。
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19991225 shampooの'90年代最初で最後の(たぶん)ライヴ。突然ダンボール主催のイベント「東京カタストロフ・ホーン」、西荻窪のライブハウスBIN SPARKにて。「DRIVE TO 2000」会場でもらったチラシに、サボテン、グンジョーガクレヨンの名に混じって「シャンプー」の文字をみたときは半信半疑だったのだが、12月になって折茂さん本人からメールが届いた。ホントだ。
演奏曲
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(タイトル失念/
バックで平沢がギターをひきまくった19830422@新宿LOFTでも1曲目だった曲)
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ヘブン
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ホテル
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フォーリン・ラブ
バックはPEVO 1号(g)、Dr.KC from情念(key, arr)。最前列に座ってたら、折茂さんからポケットの造花を1本渡された。客席にはshampooの元メンバー・足立真理さんの姿も。
2000年になっても生きてけると思うライブでした
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ところでshampooの次に出てきたモーリー・ロバートソンが冒頭「ずっとファンだったshampooのライブが見れて幸せ」という意のMCをしていたが、ホントか?
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shampoo:平沢先生のシンセ教室の生徒だった折茂昌美らが1979年に結成。1980年初夏にはP-MODELのライブの客入れBGMに彼女らのデモテープが使われた。1982年、平沢プロデュースによりデビュー。詳細はshampooホームページ: http://www2.biglobe.ne.jp/~shampoo/。
わたし自身は、19791224浦和市民会館で開かれたレコード&テープコンサート(マンドレイクのライブテープが聴けた)で前列に並んで座っていた彼女ら(当時は4人組)に声をかけられて以来、同じ埼玉県南のPファンな高校生としてよく遊んでもらったものです(笑)。クレゾールのにおいたちこめるデビューライヴの鮮烈。
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19991226 「この日サンシャインで何かが起こる!」とだけきかされて以来、直前まで詳細不明でヤキモキ。んでもって、サンシャインのHPはと検索したら「サンシャインシティー」ぢゃなくて「サンシャインシティ」と知って衝撃。新星堂プレゼンツ「ヒラサワ縁日」12〜17時@サンシャインシティ噴水広場。以下まだ書いてません。
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